「サボ」のある風景 終了 成功 読者になる
サボテン-品種不明 | 栽培地域 : 大阪府 大阪市鶴見区 天候 | 栽培方針 : 標準栽培 | 読者 : 1人 |
栽培環境 : 里山 | 栽培面積 : 0.1㎡ | 種から | 9999株 |
作業日 : 2015-05-03 | 2015-01-01~122日目 | 25.7℃ 16.6℃ 湿度:68% 積算温度:1182.6 ℃ |
第十五話 いつかは・・・
山に登るのはそこに山があるからだ。そう言った人がいます。これ、まったく理由になってませんよね。じゃ、なんで?自然にふれあいたいから?そんな事言う人に限って庭に自然に生えた植物を雑草なんて呼びながら引っこ抜き除草剤をぶっかけてる。・・・じゃあなんで?生命に満ち溢れているから?・・・生命なら腐った果実一個の中に満ち溢れています。数十億、いやどうかすると兆の単位の微生物がね。
良い所があるとすれば誰に所有されているわけでもない植物や動物との触れ合いではないでしょうか。誰かが意図してそこに植えたわけじゃない。誰かに餌貰ってるわけじゃない。管理された社会の中で生きている自分と対比して、それがどんなに苛酷な事か知っていても「いいなー」などと思ってしまう。
でも、私が育てている植物たちだって私に所有されるために生まれてきたわけじゃない。そもそも「所有」するなんて言う概念は人間が道具を作り農耕を始めたから勝手に思い込んでいる事に過ぎないと思うんです。自分で作った作物を自分で食べる。自分で作った道具に自分の名前を刻んだ。それが最初の「所有権」だったんじゃないでしょうか。それが広がって今では地球上のあらゆる場所、あらゆる物に「所有権」が設定されていて自然に生えている植物たちだって実は誰かの所有物って事になってしまってます。でも彼らに所有されてるなんて意識はもちろんありません。自分が持っている遺伝子と言う「個性」を生かしながら自由に生きてる。
それがどんなに厳しい事か。山に登って会う事が出来る動植物は「勝ち残った」者たちです。自然がどんなに厳しいかは人間と他の動植物たちの子供の数の違いで分かります。力があっても運がよくないと勝ち残れない世界。ボクシングのチャンピオンになる事なんかじゃ話にならない生き残りゲームを勝ち上がった者たち。そんな世界を垣間見る事ができる。・・・そんな事をちょっとでも思いながらこいつらに会いに行ってる人ってどれだけいるんだろう。それでもその厳しさを一瞬でいいから感じてみたい。そして「傲慢」な人間社会から一瞬抜け出してみたい。できればサボたちのいる場所へ・・・。
今回はここから画像をいただきました。
デスバレー http://shabomaniac.blog13.fc2.com/blog-category-5.html
モハベ砂漠 http://www.lapshin.org/cultivar/kniga/malov-ge.htm
アカタマ砂漠 https://www.flickr.com/photos/cactushorridus/with/222288551/
デスバレー
モハベ砂漠
アカタマ砂漠