栽培記録 PlantsNote > グループその他 > 収穫の喜び > うーたんファーム、今日の収穫
ダーリンが小さな頃はうちに雄牛がいて、農作業の大事な一員だったそうです。 ダーリンは牛の餌をかりにいくのが仕事だったそうで、レンゲなどを鎌でかってきていたそうです。 これは馬鍬 (まんが・まぐわ)といって、牛や馬に牽引させて田んぼの荒起こしや代掻きをさせる農具だそうです。 なんか日本昔話をきいているようです(笑)
収穫の喜び
ゆかんぼさん 2018-11-03 20:23:39
牛飼ってたんですか!( ^)o(^ ) 写真見た時前のモグラの串刺しを思い出してしまった(;゚∀゚ノ)ノ (長女記)
うーたんさん 2018-11-03 20:36:36
そうなんだって、昭和40年まで飼ってたんだって。 農作業に使っていたのは昭和35年くらいまでだったそう。 このあたりのお百姓さんは皆一家に一頭牛を飼ってたそうよ。
marubonさん 2018-11-03 20:51:22
うちも家で農耕用の牛を飼ってて、押し麦とか食べさせて大事にしてたそうです。力が弱ってくると農耕の役に立たないので、馬喰(ばくろう=牛馬を手配する業者)に引き取ってもらうのですが、今まで頑張ってくれたお礼にご飯炊いてごちそうを用意しても空気を察して全然食べてくれなかったり、トラックに乗せるときボロボロ涙を流して乗るのを嫌がって可哀そうだったとか、そんな話を聞きました。あと、牛泥棒に牛を盗まれた話とかもあったりしてもう日本昔話。
うーたんさん 2018-11-03 21:20:17
(笑) 今となりでダーリンが同じような話をしています。 夏などたくさん仕事をさせた日の終りはビールをやったり、酒を飲ませたりしたそうです。 亡義父は牛を連れて帰るとき、バスがクラクションを鳴らしたのに牛が驚き暴走し、リヤカーの下敷きになり死にかけたそうです。 またある日は、「牛盗まれた!」と血相を変えて家に走って帰ってきたら、牛が先にひとりで(いや、1頭で)帰宅していたそうです。 もう想像がつかなくて面白くてたまりません(⌒▽⌒)
usagi0311さん 2018-11-04 00:49:42
牛泥棒聞いたことある! 牛が先に帰ってきた話も。 昔あるあるばなしだよね。 昔は牛が重宝され、大事にされたんだよね。 力仕事には最適な動物だったんだよね。
marubonさん 2018-11-04 19:43:56
どこもおんなじなんですね(笑) うちは牛泥棒に牛盗まれてから、番犬を飼うようになったそうです。貰ってくる犬はよく分からない雑種ばかり。。。 リアカー下敷き怖いです。昔は重たい荷物は牛にリアカー引かせて運んでたようですが、今は軽トラありますから楽ちんです。バスにクラクション鳴らされて暴走は…。 友達のお父さんが大阪の四条畷(しじょうなわて)で乳牛やってたのですが、その牛が小屋から脱走して交差点で寝そべって交通渋滞を引き起こしちゃったという話もありました。これは25年ほど前の話。
うーたんさん 2018-11-04 21:18:50
おもしろーい! うちで牛を飼うというのがうーたんには信じられないことなんですけど。 うーたん;「牛の名前は?」 ダーリン;「名前なんてない、牛、おい牛、この牛、おまえんとこの牛、うちの牛って呼んでた」 う;「へぇ~、ペットじゃないから名前つけなかったのかね」 んで、最後は肉牛に売られていくみたいねぇ。。
marubonさん 2018-11-04 22:13:12
私の家は6年前に建て替えたのですが、そのときに庭にあった納屋を潰しました。まさに、うーたんさんのこれなーんだシリーズ!と同じ状態。新品みたいな唐箕が出てきたり、田んぼを耕すときに牛の首につけてた木の道具(”Ω”みたいな形)だ出てきたりとかとか。納屋に牛専用の小屋もついてたのですが、扉は重くて頑丈なカギがついてました。ペットというより家族みたいな感じだったようです。力が弱ってきたら肉牛というのが悲しいですね。ニワトリも卵産まなくなったら、逆さ吊りして首チョンパして血を出して、すき焼きにしてたみたいで。でもその鶏肉は固かったと亡父は申しておりました。。。
うーたんさん 2018-11-04 22:23:06
そうです、納屋につながって牛小屋があったそうで、結婚して◯ン十年たってるのに今回初めて見ました(笑) うちは次男ですが、もともとの本屋にすんでいるので、敷地内に納屋があるんですが、ほとんど自分たちの荷物は入っていなくて、こんな感じので満載でした。 大阪で同じようなお百姓さんなので同じようなものがあるんですね。 あと、モノではありませんが、芋を保管していた芋穴とか、防空壕もあるんですよ。
marubonさん 2018-11-04 22:36:32
防空壕!うちも昔、庭に防空壕があったそうです。箪笥とか入れてたらしいです。昔は着物が財産だったみたいで。昭和20年6月15日の大阪大空襲で焼夷弾を落とされて、うちの村で8軒燃えたうちの1軒がうちでした。祖父が消防団の分団長をしてたのですが、他所の家の消火に行ってる間に自分の家が燃えたという笑えないオチで。。。
うーたんさん 2018-11-04 22:42:57
うちも消防団入っていて、門に団員の証が今でも貼ってあります。 ここらはやられなかったようですが、堺大空襲が見えたそうです。 義母は毎年PL教団の花火のクライマックスを見ると、その光とすごい音に「堺の空襲みたいだ」と言っていました。 不幸な時代があったんですね、絶対繰り返したくないですね。
marubonさん 2018-11-04 22:52:09
団員の証、ちゃんと門に貼ってはるんですね。私、机の上に置きっぱです。(汗) 最近、出火出動はだいぶ減りました。 戦争のとき、母方の伯母がグラマンの機銃掃射に追いかけられたと申しておりました。話を聞けば聞くほど、怖い時代ですね。
うーたんさん 2018-11-04 23:08:40
うちのダーリンも団員です(^o^) ダーリンのは貼ってあるかな? 昔の話は聞いていて面白くて楽しいときもあるけど、酷い話もありますね。 でもそれも大切に聞いて伝えなくてはと思います。 ビックリしたのは、お米を作っているのにコメ100%の白米は食べられなかったってこと。 麦とか混ぜてたんだそうです。 時々検査されたりしたとか。 不自由な生活だったんだなぁ。
marubonさん 2018-11-05 07:45:37
ダーリンさん、団員さんですか(^_^)ゞ てことは『火点(かてん)は前方の標的、水利はポンプ車右側後方防火水槽、手びろめによる二重巻きホース・・・』っていう謎の暗号、よくご存じかも。。。 昔の食糧難の頃、お米は無理やり供出させられてたとかで、うちで食べるご飯は混ぜものして量を増してたみたいです。曾祖父が川で取ってきた小魚が、ご飯によく入ってたらしいのですが、小骨が多くて嫌やったと父は申しておりました。
うーたんさん 2018-11-05 18:39:33
「・・・一線延長!」ですね( ̄ー ̄)ニヤリ byダーリン
初物収穫
すごい収穫
しょぼい収穫
お友達に
なすび三兄弟
青くても捨てられん
収穫5時間後
なんでも食べる
綺麗なキューリ(惚れ惚れ)
おすそわけ
やまもり
分厚くて濃い緑
婆さんより先に
今年も終わり
わーい、いっぱいだ
仏様用
今年の4月の様子
自然の色の美しさ
どれもこれもミニ
うーたん さん
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ゆかんぼさん 2018-11-03 20:23:39
牛飼ってたんですか!( ^)o(^ )
写真見た時前のモグラの串刺しを思い出してしまった(;゚∀゚ノ)ノ
(長女記)
うーたんさん 2018-11-03 20:36:36
そうなんだって、昭和40年まで飼ってたんだって。
農作業に使っていたのは昭和35年くらいまでだったそう。
このあたりのお百姓さんは皆一家に一頭牛を飼ってたそうよ。
marubonさん 2018-11-03 20:51:22
うちも家で農耕用の牛を飼ってて、押し麦とか食べさせて大事にしてたそうです。力が弱ってくると農耕の役に立たないので、馬喰(ばくろう=牛馬を手配する業者)に引き取ってもらうのですが、今まで頑張ってくれたお礼にご飯炊いてごちそうを用意しても空気を察して全然食べてくれなかったり、トラックに乗せるときボロボロ涙を流して乗るのを嫌がって可哀そうだったとか、そんな話を聞きました。あと、牛泥棒に牛を盗まれた話とかもあったりしてもう日本昔話。
うーたんさん 2018-11-03 21:20:17
(笑) 今となりでダーリンが同じような話をしています。
夏などたくさん仕事をさせた日の終りはビールをやったり、酒を飲ませたりしたそうです。
亡義父は牛を連れて帰るとき、バスがクラクションを鳴らしたのに牛が驚き暴走し、リヤカーの下敷きになり死にかけたそうです。
またある日は、「牛盗まれた!」と血相を変えて家に走って帰ってきたら、牛が先にひとりで(いや、1頭で)帰宅していたそうです。
もう想像がつかなくて面白くてたまりません(⌒▽⌒)
usagi0311さん 2018-11-04 00:49:42
牛泥棒聞いたことある!
牛が先に帰ってきた話も。
昔あるあるばなしだよね。
昔は牛が重宝され、大事にされたんだよね。
力仕事には最適な動物だったんだよね。
marubonさん 2018-11-04 19:43:56
どこもおんなじなんですね(笑)
うちは牛泥棒に牛盗まれてから、番犬を飼うようになったそうです。貰ってくる犬はよく分からない雑種ばかり。。。
リアカー下敷き怖いです。昔は重たい荷物は牛にリアカー引かせて運んでたようですが、今は軽トラありますから楽ちんです。バスにクラクション鳴らされて暴走は…。
友達のお父さんが大阪の四条畷(しじょうなわて)で乳牛やってたのですが、その牛が小屋から脱走して交差点で寝そべって交通渋滞を引き起こしちゃったという話もありました。これは25年ほど前の話。
うーたんさん 2018-11-04 21:18:50
おもしろーい!
うちで牛を飼うというのがうーたんには信じられないことなんですけど。
うーたん;「牛の名前は?」
ダーリン;「名前なんてない、牛、おい牛、この牛、おまえんとこの牛、うちの牛って呼んでた」
う;「へぇ~、ペットじゃないから名前つけなかったのかね」
んで、最後は肉牛に売られていくみたいねぇ。。
marubonさん 2018-11-04 22:13:12
私の家は6年前に建て替えたのですが、そのときに庭にあった納屋を潰しました。まさに、うーたんさんのこれなーんだシリーズ!と同じ状態。新品みたいな唐箕が出てきたり、田んぼを耕すときに牛の首につけてた木の道具(”Ω”みたいな形)だ出てきたりとかとか。納屋に牛専用の小屋もついてたのですが、扉は重くて頑丈なカギがついてました。ペットというより家族みたいな感じだったようです。力が弱ってきたら肉牛というのが悲しいですね。ニワトリも卵産まなくなったら、逆さ吊りして首チョンパして血を出して、すき焼きにしてたみたいで。でもその鶏肉は固かったと亡父は申しておりました。。。
うーたんさん 2018-11-04 22:23:06
そうです、納屋につながって牛小屋があったそうで、結婚して◯ン十年たってるのに今回初めて見ました(笑)
うちは次男ですが、もともとの本屋にすんでいるので、敷地内に納屋があるんですが、ほとんど自分たちの荷物は入っていなくて、こんな感じので満載でした。
大阪で同じようなお百姓さんなので同じようなものがあるんですね。
あと、モノではありませんが、芋を保管していた芋穴とか、防空壕もあるんですよ。
marubonさん 2018-11-04 22:36:32
防空壕!うちも昔、庭に防空壕があったそうです。箪笥とか入れてたらしいです。昔は着物が財産だったみたいで。昭和20年6月15日の大阪大空襲で焼夷弾を落とされて、うちの村で8軒燃えたうちの1軒がうちでした。祖父が消防団の分団長をしてたのですが、他所の家の消火に行ってる間に自分の家が燃えたという笑えないオチで。。。
うーたんさん 2018-11-04 22:42:57
うちも消防団入っていて、門に団員の証が今でも貼ってあります。
ここらはやられなかったようですが、堺大空襲が見えたそうです。
義母は毎年PL教団の花火のクライマックスを見ると、その光とすごい音に「堺の空襲みたいだ」と言っていました。
不幸な時代があったんですね、絶対繰り返したくないですね。
marubonさん 2018-11-04 22:52:09
団員の証、ちゃんと門に貼ってはるんですね。私、机の上に置きっぱです。(汗) 最近、出火出動はだいぶ減りました。
戦争のとき、母方の伯母がグラマンの機銃掃射に追いかけられたと申しておりました。話を聞けば聞くほど、怖い時代ですね。
うーたんさん 2018-11-04 23:08:40
うちのダーリンも団員です(^o^)
ダーリンのは貼ってあるかな?
昔の話は聞いていて面白くて楽しいときもあるけど、酷い話もありますね。
でもそれも大切に聞いて伝えなくてはと思います。
ビックリしたのは、お米を作っているのにコメ100%の白米は食べられなかったってこと。
麦とか混ぜてたんだそうです。
時々検査されたりしたとか。
不自由な生活だったんだなぁ。
marubonさん 2018-11-05 07:45:37
ダーリンさん、団員さんですか(^_^)ゞ
てことは『火点(かてん)は前方の標的、水利はポンプ車右側後方防火水槽、手びろめによる二重巻きホース・・・』っていう謎の暗号、よくご存じかも。。。
昔の食糧難の頃、お米は無理やり供出させられてたとかで、うちで食べるご飯は混ぜものして量を増してたみたいです。曾祖父が川で取ってきた小魚が、ご飯によく入ってたらしいのですが、小骨が多くて嫌やったと父は申しておりました。
うーたんさん 2018-11-05 18:39:33
「・・・一線延長!」ですね( ̄ー ̄)ニヤリ byダーリン